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生きた神を礼拝することがまことの礼拝です

【生きた神を礼拝することがまことの礼拝です 】

 

 NT・ライト著「クリスチャンであるとは」を読み、示唆されていることを

書いています。数回「礼拝」について考えてきました。

 ライトは礼拝を考える時、ヨハネの黙示録4章、5章の天上界の礼拝が手掛かりになると

教えています。

 「造られたものが自らの造り主を認め、小羊の勝利を悟って、創造主なる神と救い主である神に向けた賛美の雄叫びである。それが天において、神のおられるところで、つねになされている礼拝である」まことの喜びと感謝からでてくるものが礼拝です。どこかの独裁者のように恐怖から礼拝させるのはまことの礼拝ではありません。

榎本保郎著「旧約聖書一日一章」のイザヤ書1章のページで、「10~17節において、イザヤは神の言葉を語って、祈りとか、礼拝とか、あるいは献金だとかは、神はいやなのだと言う。神がそこまでおっしゃらねばならないほど、そういうものが信仰のすべてであるかのように当時の人々は思っていた。

そういった信仰に対して、イザヤは形式化しない信仰、信仰の新鮮さ、神の前に信仰のいのちがいつも回復されていくこと、生きる神との関係を強調したのである。」と書かれています。

 

 わたしたちが礼拝する神はいまも生きて私たちを愛しかかわり続けてくださる神であることを忘れないようにしましょう。(牧師)