【分け登る麓の道】
先週の月曜日久しぶりに高尾山から小仏峠へのルートを登って来ました。
そのときふと頭に浮かんだのは、「分け登るふもとの道は多けれど同じ高嶺の月を見るかな」のうたです。
山はいくつか登り口があります。登る道で景色が違います。
坂が多かったり、石が多かったり、など道もさまざまです。
どの登り口から登っても頂上にたどり着けます。
ここから、どの宗教も、どの神も、結局は何を信じても同じだという
荒っぽいたとえに用いられることがあります。
それを言うなら、山そのものが違うのですから、信仰の対象が違うの
ですからたとえとしてはふさわしくありません。
しかし、教派の違いには使えるかも知れません。
教派(バプテスト派、ルター派、長老派、組合派など)は同じ神を信仰
していますが、それぞれ特徴(山の道にたとえれば、色合い、景色)が違い
ます。
お互いの登る道を聞き合うことで山の全体が見えてくるのではないでしょう
か。
神への理解が深まるのではないかと思います。 (牧師)
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